深水チエ/この音はまだだれかに望まれている

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こんにちは、深水チエです。
今回メインボーカルと作詞、そしてピアノ演奏を担当させて頂きました。
いま、出来上がったばかりのマスターを聴きながら原稿を書いています。

最初に伊藤さんからメールを頂いたとき、コンポーザーが西島さんと伺って、すぐに「やります!」とお返ししたのを覚えています。それからかなり時間をおいてからコンセプトデザインと、デモ音源を頂きました。その時間をかけた理由は、試聴やサイト、これまでの制作ブログをご覧いただければ、十分に伝わるかと思います。

西島さんの音楽について。
音楽をつくる、という行為はたぶん終わりのない片思いのようなものだと思います。
音楽の神さまはただそこに存在していて一介の人に振り向いてはくれない。
西島さんもたぶん音楽に恋をしてるのだろうなと勝手に思っています。
どんな恋をするのかは音楽家によって違うのだろうけれど、たぶんわたしは西島さんの、その恋しかたに共感するのだろうと思います。彼が音楽に捧げたいなにかは、わたしが音楽に捧げたいなにかに、どこか似ている気がしています。

恋。三曲目はAMORとコンセプトに題されたものでした。
叶わない恋への嘆き、そのテーマとともにデモ音源を頂いてから、まずイメージしたのは、心をもちはじめた機械のまなざす世界でした。美しいもの、焦がれるものへの憧れが、まだ純粋なままのかたちと、ゆがみはじめたときのかたち。それからfoolenさんの書いたコンセプト案と一曲目の歌詞をくりかえし読み返してみました。
嘆き、ということばには暗く濁った気配も、透徹した気配も、両方感じられますけれども、西島さんの音楽から聴こえてきたのはとてもあまいかなしみでした。絶望とは決して幸福ではないかもしれないけれど、とても人間的なエネルギーがある。音楽とは単純な喜びでも幸福でもない、多面的な衝動だとわたしは常々思っていて、そういうものがそこにあると思いました。最終的に見えてきた映像から掬いあげたほんの他愛ない言葉がTr.3の歌詞になりました。

なにかを作る人間はだれしも、多かれ少なかれ自分の創作物への愛情と、承認欲求の狭間で揺れていると思います。わたし自身もそうです。上手にうたえるひとも、魅力的な声のひとも、世界中にたくさんいて、多くのひとがそれを発信できるいまの時代で、自分が歌うことに理由を見出してもらえるとしたら、それはどれほど貴重なことでしょうか。たとえば「深水チエ」でなければ成立しない、という客観的な理由はどこにもなくて、それは作り手・聴き手が信じることでしか成立しえない世界のできごとです。そしてそういう信頼の満たされる瞬間には、どんなに望みのない片思いだったとしても、たしかに幸福があるのだと思います。この音はまだだれかに望まれている。もっと先まで繋がっていて、見渡せる。OPHANILはそれを強く感じさせてくれた制作でした。

わたしの声とピアノに全力で戦う場所を与えてくれた西島さんに、
素敵な手紙とコンセプトで描く世界への足がかりを作ってくれたfoolenさんに、
この企画に関わり尽力してくださったスタッフの皆様に、
わたしを信じ企画を組んでくださった伊藤さんに、
本当にありがとうございました。

そしてこれからこの音楽を聴いてくださる方に、
わたしたちが手探りしてきたものへの回答を感じていただけたらとても嬉しいです。

文章:深水チエ

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